Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

「好き」に挑んでいけば、5年後のビジョンも描ける。



こんにちは、しろです。

突然ですが(いつものことですが)、わたしは読書家というよりも乱読家で、ミステリー小説から漫画、自己啓発書までなんでも読みます。(最近読みたいものは辞書です。「あ」から順々に読んでいったら楽しそうじゃないですか?楽しそうじゃないですか、そうですか)

そこで自己啓発書の話なんですが、自己啓発書を読んでると「5年後のビジョンを描こう!」みたいな話が結構な割合で出てきます。というか自己啓発書だけじゃなく学校なんかでも言われませんか。わたしは専門学校時代に10回は聞きましたね。「何年後のビジョンを描こう!」みたいな話。割と耳タコです。でも実際、ビジョンってどうやったら描けるんでしょう。わたしは全然描けてなくて、専門学校でもシャーペン握ってボーッとしてました。(流石にそのまんまじゃまずいので適当に書いて提出しましたが、当然その通りにはなってません)

ビジョンを描ける人って、そもそも「やりたいこと」がある。


ビジョンを明確に描けている人はやりたいことがあるから、逆算して「今やるべきこと」を算出できるわけです。

でもそもそも「やりたいこと」が特にないな…みたいな人も少なからずいると思います。

かつてのわたしもそうで、ちゃんと自己分析して入社試験を受けて入ったはずの会社員時代は「なんか違うぞ!!!!!これはただお金をもらってるだけだな!!!!(そしてそれで要らんもんを買ってるだけだな!!!!)」と非常にモヤモヤしていました。5年後のビジョンも何もあったもんじゃない。

やりたいことってなんぞや…なんぞや…と、自問自答する日々が続きました。

とりあえず好きなことを続けていけば、5年後もどうにかなる。

そしてある日閃きました。「とりあえず好きなことをやってみよう」と。「これだ!」というやりたいことがなくても、ひたすら好きなことに挑戦して突き詰めていけば、5年後もそうしているだろう…みたいな、甘っちょろい考えですが、まあなんと意外にも続いています。それがこの「文章を書く」ということです。

わたしは大学時代は文芸系の学科で、文章を延々と(というほどでもないけど)書き続けていたんですが、そこで「表現するのが好きだ!」ということに気がついて、手を変え品を変えつつ、気がつけばもう…えー…7年くらいですか?(曖昧)そのくらいは経ってます。

もちろん、文章を書き始めていた時に想像していた「5年後」とは完全一致してません。そもそも確立したビジョンを描いていません(笑)でも、好きなことだけは相変わらず続けてる。

今でも明確な5年後のビジョンは全くもって描けないけど(5年どころか明後日のことすら何も描けないけど)、ずっと文章は書き続けていたいと思います。どんな状態でも。

突き詰めて書くことを続けていれば、もしかしたらこのブログも5年続けているかもしれないし、もしかしたら別媒体で何かをしているかもしれない。それはわからないです。未来のことは誰にもわからないし。ただ、続けておけば5年後も本質的な部分(「文章を書く」「文章を読む」)は変わらないんじゃないでしょうか。あれ、こうして考えると、「5年後のビジョン」を描くのって、結構簡単じゃありませんか?

「ただ好きなことをやってる」も、明確なビジョン。


それがどう発展していくかは神のみぞ知る…という感じで、ゆったり身を任せていくくらいでもいいんじゃないですかね。だってガチガチにビジョンに縛られちゃったら、予定調和な人生になっちゃうじゃないですか。それが良し!という人はそれで良いと思うんですが、わたしは獰猛な獣を放牧する学校の中で育てられた人間なので(リンク参照)、いつでも自由でありたいし、新鮮な驚きの中に身を投じてたいなあと思います。

shr0805.hatenablog.com

「好き」のアンテナを張って、それを突き詰めていく。そうすればそれがきっと5年後になっている。そう信じています。




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「ないもの探し」に早めにケリをつけたら、幸福度が上がった。

 
 



こんにちは、しろです。

不満ばかり垂れて「あれもない」「これもない」ばかりして、モノや感情を溜め込んでばかりいることに疲れて、早々に手放してみたらあっさりと「幸せ」への道が開けてきました。

不幸の口癖は「ない!」だった。


思えばモノをやたらと買ったり溜め込んだりしている時期のわたしは、いつも不平不満ばかり口にしていました。

「時間がない」
「服がない」
「体力がない」
「人脈がない」

ない、ない、ない、ない。

とりあえずなんにもない!みたいな状態に陥ってました。

そうするととりあえず「何か」で満たそうとして、服をやたらめったら買ってみたり、食べ物を買い込んでみたり、大して役に立たない雑貨を片っ端から買い集めてみたり。

そうやってぽっかりと空いた何かを埋めるようにしていたわけですね。

自分の飢餓感みたいなものに耐えきれなくて、あれやこれやと手を出しては挫折し、「こんなんじゃダメだ…」と自分を追い込む…という、まさに「負のループ」状態でした。

でも、本当に何にも「ない」のか?


しかしよく考えてみると、自分の周りには「ない」以上に「ある」が多いんですよね。

とりあえず、寝る場所はある。
とりあえず、食べるものはある。
とりあえず、雨風をしのげる場所はある。
とりあえず、明日着ていく服くらいはある。
とりあえず、生きていけるだけの体力はある。
とりあえず、本音を言える友達は1人2人だけどいる。

こうやって数えていけば「ある」だらけなのに、なぜ「ない!ない!」と大騒ぎしていたんでしょうか。


問題なのは、自分自身の心の在り方。


1番問題だったのは、「自分自身の視点」でした。いつも周囲の人と比べてばかりで、「あの人に比べてわたしは仕事ができないから」「あの人に比べて、充実した時間(充実して見える時間)を送れてないから」「あの人と比べたらオシャレに見えないから」などなど、あげはじめたらキリがありませんが、とにかく「周囲の人から見てどう見えるか」が、自分の中で1番の課題でした。度々このブログでも書いている「他人軸」というやつですね。

しかし、自分自身の視点=「自分軸」で見てみると、先ほど言ったように本当に「ある」ばかりなんですよね。比べてるから、何もないように見えるだけ。本当はなんでも持ってるし、何も卑屈になることないんだなーと気がついたら、一気に視点が開けた感じがします。

自分自身の思うことに自信を持って胸を張って生きさえすれば、案外簡単に幸せになれるのかもしれないなあと思う今日この頃です。これからは「ないもの探し」じゃなくて、「あるもの探し」をちょこちょこでもいいからしていきたいな!と思っています。





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常識にとらわれず「やりたいことをやる」と、人生の満足度が上がる。



こんにちは、しろです。

「やりたいことをやる」っていうことは、もしかしたら人生に於いて1番大切なことなんじゃないの?と思っています。

ふと思い出した過去。


このところ、「なんか(自分の感情が)停滞してるな〜」と思ってたんですが、それが「『別にやりたくないこと』をしてるのでは!」(主に仕事とは名ばかりの労働)と思いはじめ、「流動的にふわふわとしながらやりたいことをやろう!そして思っているだけでなく実行しよう!」というスタンスになっています。(とは言え引き受けたことを途中で放り出すのは嫌いなので、全部ガツッとキレイに終わらせたらどうにかして色々縁を切るつもり)

そのスタンスで生きていこう!と思ったのと同時に、過去のことを思い出しました。

わたしが通っていた高校は私学(中高一貫でした)ということもあると思うんですが、かなり個性を尊重した教育を受けさせていた学校(というとかなり耳あたりが良いんですが、実態は自由気ままな獣を放牧している感覚に近かった)でした。

生徒もかなりトリッキーだったんですよね。ある日突然学校に炊飯器とガスコンロと鍋を持ってきて、「食堂にわざわざ行く時間がもったいないし、これで昼飯作ろうぜ!!!!!」(※米とレトルト食品は各自持ち寄り)とか言い出す生徒がいて、しかも実行しちゃうくらい。

さすがにこれは「ロッカーから湯気が出て(一応、公に置いとくのはアレだと思って隠してたんですね…)火事の疑いをかけられる」とか、「炊飯完了の音がうるさい」とか(数学の時間に「ピーッ!」と高らかになる炊飯器というシュールさよ)、「そもそも校内は火器厳禁だからガスコンロでお湯を沸かすのはちょっと…」という理由で禁止になりました。

しかし代わりに(?)「電気ポットの持ち込みだけは可」とかいうわけのわからんルールもできて、簡単にカップ麺を食べたりはできたんですが。(もちろん他クラスの教師から反発が出たんですが、担任が「他のクラスでもヘアアイロンを温めたり携帯の充電したりする生徒がいるんですから、電気ポットくらい良いでしょう。ヘアアイロンも電気ポットも学校の電力を使用しているのは一緒です」とかいう、これまたわけのわからん理論で論破していました。一緒か?w)

自由な発想が人生の幅を広げる。

この出来事のそもそもの発端を辿ると、ある生徒の「食堂行く時間があるならもっと楽しいことやろうぜ!(+「学校で自分たちで飯作るの楽しそうだからやろうぜ!」とかもあると思うんですが)」という想いになるんですが、この「楽しいこと(やりたいこと)をやりたい」という発想こそ、人生にはすごく重要なんじゃないかと(10年くらい経ってから)思いまして。

なんというか、発想の自由さこそ人生を幅広くしてくれるんじゃないか?と気がつかせてくれたんですね。当時のわたしは「またバカなこと言ってんなあ…(笑)」くらいに思ってたんですが、この「バカなこと」ほど、それこそバカにできないんじゃないかなと。

通常の感覚だったら、「は?非常識な」とか思われそうな出来事だし、実際この話をいろんなところですると「バカじゃん」って言われたりすることもあるんですが、そういう常識にとらわれない発想こそ、新しい世界に連れて行ってくれるんじゃないかなと。常識とかも関係ない、ただ「やりたい」から「やる」。そうすると自分の人生の満足感は格段に向上するし、巻き込まれる人も気がついたら楽しくなってるかもしれないし、案外棚ぼたな出来事が起きるかもしれないし。実際、やってる本人は楽しそうだったし、巻き込まれたクラスメイトも面白がってたし、担任からは「電気ポットまでならいいよ」とか許可もらってますからね…(笑)たった1つの自由な発想がいろんなことを連れてきてくれてたんだなあ、と今になって思ったりしました。

狭い枠で生きていたら、予定調和な人生になる。

常識って狭い枠だから、想定内のことしか起こらないんですよね。そんな予定調和な人生ってものすごくつまらないことなのかもなあ、と、過去を振り返っているうちに思うようになりました。そしてこの過去を思い出したらなんだかワクワクしてきて、「よっしゃ!じゃあわたしもいっちょ常識ぶっ壊してなんかやってみっか!」という気持ちになってきました。

今はフリーランスとして仕事をしていて、幸いなことに一箇所に縛られなきゃいけないという規定もないし。どうしても(納期に追われて)仕事をしていると家に閉じこもって仕事しがちなんですが、まずは外に出ていつもと違う場所で仕事をしてみるとか、ちょっとずつ「自分改革」を行っていこうかな〜なんて思ってます。この「自分改革」、結構楽しそうです。自分の新しい価値観を見つけることもできそうだし。

こんなことを考えられるのも、かつてのクラスメイト(と放牧状態だった学校)のおかげですね。感謝感謝!




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一瞬一瞬に命をかける。時間を味わう贅沢さを自分に許すと癒しが得られる。




こんにちは、しろです。

今回は知っておくとちょっとお得な(?)心構えのような話です。

時間を消費していくと、枯れる。

毎日焦ってばかりいると、自分自身のエネルギーがどんどん枯渇していくなあと思います。納期に追われたり悩んだり(結論が出ないことを頭の中でぐるぐるさせてる状態)って、とんでもない時間の消費なんですよね。そしてそれを続けていくと、自分の中にある感性がなくなっていく。

そんな話を専門家の人としていたのですが、「そういうのは簡単に解消できますよ」と穏やかな微笑みを携えながら言われたので、覚書と共有がてらしたためてみようかと。

自分を癒すためには、「瞬間」に集中すること。


専門家の方によると、「自分を癒す」というのがエネルギーのなくなっている状態には非常に重要なんだとか。そしてその自分を癒すということは、「瞬間」に集中するのが1番良いそう。

例えば、食事をしているとき。1つ1つの味に集中する。
例えば、お風呂に入っているとき。温度の心地よさや香り(バスオイルなんかを入れるとより良いとのこと)に集中する。

それだけでかなり心のエネルギーが満たされ、活力が湧いてくるそうです。要は自分を「快」の状態に常に置いておくということですね。

自分のアンテナを張るためにも、集中力が必要。


わたしは常々「シンプルに生きるためには自分のアンテナを張ることが重要」と思っているのですが、そもそも自分のアンテナを張るためには「好き」や「心地よい」に集中する必要があるんだな〜と、今回の話を経て考えさせられました。

そのためには、余分なノイズをひたすら削ぎ落とすこと。具体的に言うと、「嫌だな」「しんどいな」「気分良くいられないな」ということを徹底的に削る!不必要なモノや感情に振り回されていると、自分の「好き」や「心地よい」が見えづらくなって、息苦しい毎日になってしまうので。

特に今は、自分の「嫌だな」を殺しにかかってる社会になっている(ような気がする)。長時間労働を押し付けられたりとか、よくわからない人間関係に振り回されたりとか、ひたすらへこへこ愛想笑いしなきゃいけない状況に陥ったりとか。

ノーと言えないのは優しさでもなんでもない。

「謙虚」とか「思いやり」は日本人の美点ですが、単純に「ノーと言えない」のは、謙虚や思いやりとは違うんだよな〜と。それは単に「他人にいい顔したいだけ」であって、「他人に振り回される」=「他人軸で生きている」ことに他ならない。自分自身がそうだっただけに、余計にそう思います。実際、わたしが無意味な雑用を引き受けたりとか(仕事もプライベートも、「それってわたしがやらなくても別にいいんじゃ…」的なことでもガンガン安請け合いして、結局心身ともにしんどくなりました)、人に嫌われないようにあちらこちらに振り回されて、楽しくもないのに笑って。

別に楽しくなかったら笑わなくてもいいし、自分のやりたいことをやりたいようにやることは悪いことでもなんでもないし。そう気がついたら、スーッと肩の荷がおりました。

だから、物事にぶち当たるたびにこう問いかけるのが大切なんじゃないかな。

「なんでもかんでも安請け合いしてない?」
「楽しくないのに笑ってない?」

って。

そもそも安請け合いしたり楽しくないことで笑ったりするのってめちゃくちゃ時間と精神の消費になるし、そんな人生生きてて楽しいのかなっていうか楽しくなかったです(経験談

自分が心から「好きだ!」「やりたい!」って思えることに時間を割り当てたほうがよっぽど充実した人生になるし、満足度が高いし、たとえ明日死んだとしても「やりきったぜー!!」みたいな気持ちになるんじゃないかと。

というわけで、わたしもそんな人生を歩んでいきたいものだなあと心底思っています。そのためにはわたしはまずエネルギー補充からなので(磨耗しすぎて空っぽになってしまった…)、日々の些細なことに集中して自分のアンテナを張っていき、「心地よい」「好き」を探してそれに浸っていこうかな!と考え中です。

近いうちに今まで「好きだ」と思ったことがある場所へちょこちょこ赴きたいなあ。好きなものとかきれいなものを見てエネルギーをチャージしたい…。



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【モノを減らす】自分が「最低限持つべき量」を知る方法を実践!④〜クローゼットと格闘編・後編〜

こんにちは、しろです。

いよいよラストとなりました最低限シリーズ。とうとうクローゼット最深部の整理を終えましたことを、ここに報告いたします。

今までの格闘はこちらです。

shr0805.hatenablog.com

 

shr0805.hatenablog.com

 

shr0805.hatenablog.com



さて、最終章になってどれくらいモノを減らせるのか!?こじらせファッションオタクのクローゼットはどのように変貌するのか!?というのが、今回のメインです。(今更明かす企画趣旨)

毎度お馴染み(?)ビフォー画像はこちら。



引き出し部分と違ってハンガーにかけてるだけ、猛烈に汚いわけではない(と信じたい)んですが、それでもやはりギュウギュウなのが否めない印象ですね。詰まってるから服を取るときも引っかかって時間を取られるし、キレイに収納できないし…といったことが悩みでした。こんな風に詰め込んでるんじゃ、ファッションオタクの風上にも置けませんねえ…。

取り敢えずごっそり出す。

 




なんだかすごい古民家の壁みたいになってるのはさておき(築年数が40年くらい経ってるので…)、服をごっそり出すと意外と奥行きがあるんですよね。(押入れの一部をクローゼットとして改造している形なので、奥行きだけは立派なんです)

収納上手の方だとこちらをうまく使ってキレイな収納ができそうなんですが、収納ド下手くそのわたしはこちらのスペースは無視します。キレイに詰め込むよりも、どれだけシンプルになるかに焦点をあてているので。

袋詰め作業開始。

 
こちらも毎度お馴染みの袋詰め作業です。今回はセーターなどが多く(ほぼ冬物なので)、衣替えも兼ねたかったため、「捨てる」「残す」「クリーニング」の3つに分けました。
 
服の選別方法は「こんまり先生」の「ときめき」+「1シーズン全く着なかった」を基準にやっていきました。
 

袋詰めした画像がこちらです。どん。


左3つが「捨てる」右2つが「残す」&「クリーニング」です。ちなみにクリーニングの袋はあと3つくらいありました…。(大量すぎてさっさと別の場所に動かしたのでした)

インナーの最低限量を知る際には「袋詰めしたものから使うたびに1つずつ出す」を実践したいたのですが、他の衣類になるとなかなかそうはいかないもの。(コーディネートとかあるし)

なので、「ときめく」で残した服だけクローゼット内部に戻しました。(クリーニングは家族とまとめて出すので、別室に保管)ついでに夏服も出しました。

アフターはこちら。

 


夏服と冬服の厚みの違いもあるんですが、明らかにゆとりができたのがお判りいただけるでしょうか。

繰り返しの画像になりますが、下がビフォーです。下の画像と上の画像を見比べてみると一発ですね。

 


ぎゅうぎゅう感がなくなり、丈も短い→長いになるように入れ替えたので(左にあまり着ないものを寄せたので、そうなってるのは中央部分からなんですけど…)、だいぶすっきりとした印象を作ることができました。色も丈ごとに地味にグラデーションになるように設定。あとは無駄にかかっていたハンガーも減らしました。ハンガーはブランドがバラバラだったので見た目もごちゃついていたのですが、MAWAハンガーに統一したことで厚みも一定になり、視覚的なノイズも減りました。



これは本当に服がずり落ちないし、何よりもシンプルで洗練されたデザインなのが良いですね。冬用コートなんかはまだ家にあった適当なハンガーを使っているので(冬物と一緒に衣類ケースにしまってしまいましたが)、そちらもMAWAハンガーに変えようかと思ってます。コート用のハンガーって無駄に厚みがあるんですよねえ…。その割に滑るし。

さて、数回にわたってお届けしました「【モノを減らす】自分が「最低限持つべき量」を知る方法を実践!」、いかがでしたでしょうか。このブログの中では比較的見ていただいているシリーズのようで嬉しかったです。少しでも皆様のお役に立てていると嬉しいなと思うのですが、結局わたしのモノの管理がいかに粗雑だったかという部分しか露呈していない気がします。

しかし、多分ブログを始めてなかったら、クローゼットに関してはずっとダラダラ見て見ぬふりをしていたことでしょう…。人間らしいクローゼットになったのは、ひとえに読者様のおかげと言っても過言ではありません。

服を減らすことで、見えてくる自分の「好き」。

常々他の記事でも言っていますが、わたしはシンプルに暮らすためには自分のアンテナを張ることが大切だと思っています。そして、「服は自分の『好き』が反映される1番のツールなんじゃないかな?」と、今回服と向き合って感じました。

普段何気なく手に取っている服ですが、「この服はここのデザインが好きで買ったんだ」「この服は着心地が好きで買ったんだ」と色々な発見があって、改めて自分の「好き」の基準が明確になりました。

今後は服だけじゃなく、この「好き」のアンテナを各方面に張れるようになりたいですね。このアンテナの受信感度が良ければ良いほど、洗練されたシンプルな生き方で暮らしていけると信じています。

最後までおつきあいいただきまして、ありがとうございました。




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余計なのは「モノ」だけにあらず。体が固いとシンプルに生きることはできなくなる。



こんにちは、しろです。

捨てるべきは「モノ」だけではないな〜と、強く感じるこの頃です。

体が固いと全てが鈍る。


この「体が固い」というのは、柔軟性を指しているわけじゃなく(体が柔らかいと健康的には良いらしいですが)、体が緊張している状態と言うのが適切ですかね。

体に余計な力が入っていると、行動力や思考回路が鈍るような気がします。意識が全て体に持って行かれる感覚ですね。そうすると何をするにも億劫というか…。肩こりや首こりでやる気をなくしたりとかした経験がある方はわかりやすいかと。


余計な力は捨てる。


モノだけでなく、こういった余計な力も捨てていくのがベストだと思います。そうすることによって、自分のアンテナに意識を集中することができるし、閃いた時にすぐに弘道に移せる。

個人的には、食べ過ぎた時や何か心配ごとがある時に体が固くなる傾向が強いと思っているので、余計な力を抜くためには「深呼吸で落ち着く」のと「粗食」が有効なんじゃないかなーと考えてます。科学的根拠はなく、フィーリングなんですけどね!

これでちょっと力が抜けてやる気が出てきたら、「ひたすら動く」のも有効です。とにかく歩き続けると、頭の中が空っぽになっていって、ふとしたアイデアが閃きやすいような。

こちらの本でも散歩をするとアイデアが浮かびやすくなると言っていたので、あながちこの感覚は間違いじゃないのかも。



ストレッチやヨガ、筋トレなんかも良いかもしれませんね〜。ひたすら筋肉や体の動きに意識を向けたあとって、フッと力が抜けたりするものですし。



筋トレについては、最近こちらの本が気になっています。本屋にも平積みされているほど売れているんだとか…。タイトルもさることながら、表紙のインパクトもすごい。

「食」「呼吸」「動く」を意識して、体をほぐすと体は楽になる。


これらを意識するだけでも、思考回路はかなりクリアになると思います。

思考回路がクリアになる→体も動きやすくなる→自分のアンテナに従ってどんどんやれることを片付けられる→それが発展するといつか身を結ぶ

という、良いループができあがるのではないかと!

わたしもこの3つを意識していって、物理的なモノだけではなく体の余分なモノもどんどん削ぎ落としていきます。




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まずはモノを減らすことから。片付けのモチベが上がる本5選を紹介!




なんだか「今年の漢字」みたいな入りになってますね。こんにちは、しろです。(2017年上期の一文字としてはあながち間違いじゃないかも)

シンプルに生きるためには、まずとことんモノを減らすこと。今でこそホイホイとモノを減らせるようになったわたしですが、元々は「すぐ買う」「貯め込む」「そして使わない」という三重苦でした。

それでもなんとかモノを減らせるようになったのは、様々な片付け本のおかげ。そこで片付けのモチベーションが上がる本を5冊紹介したいと思います。

人生がときめく片付けの魔法/近藤麻理恵

 


片付け本としては有名中の有名!な、「こんまり」さんの本ですね。有名なだけあってモチベーションはめちゃくちゃ上がります。

この本のポイントはずばり「ときめき」で要不要を判断しているところ。わたしもなかなか減らしづらい衣類系は、こんまり先生流に「ときめき」で判断しています。元々がトレンド大好きなファッションオタクのため、他のものはためらいなく捨てられても衣類はなかなかミニマムにできなくて悩んでたのですが、「ときめくものだけは残しておいていいじゃない!」という考え方にシフトさせてくれました。

続刊もあります。

 


マンガ版も出版されていました!活字を追うのが苦手な方は、こちらでエッセンスを読み取っても良いかも。

わたしのウチには、なんにもない。/ゆるりまい

 

この本にもかなり影響を受けましたね〜。著者の「ゆるりまい」さんは、「捨て変態」と言われるほどの捨て魔なお方で、本当に部屋が…すごいです…(是非とも読んで確かめていただきたい)

人間はあそこまでモノを減らせるんだな…と、ちょっとした恐怖にも似た興奮を覚えました。そして即座に色々捨てました。

ゆるりまいさんは「これってもしかしたら捨てられるのでは?」と、普通の人じゃ思いつかないようなものまで捨てられているのですが(これを「K点越え」と呼ぶとのこと)、わたしも卒業アルバムやなんやらでこの「K点越え」を実感しました。使わないでスペースをとっておいてた割に「捨てづらい…」と思っていたものを捨てられたときの快感と言ったら!!!!!!!これを読むと片付けしたくなること間違いなしです。こちらはマンガなので、本が苦手な方でもスラスラ読めます。

シリーズで出てます。どの本も片付けのモチベを上げてくれます。


 

 

ぼくたちに、もうモノは必要ない。/佐々木典士

 

ミニマリストの先駆者とも言える佐々木典士さんの名著がこちら。モノが少ない=幸せ、という価値観を最初に学んだのはこの本かも。

モノに縛られてると本当に不自由なんですよねえ…。モノを捨てることのメリットもたくさん書かれています。こちらは片付けの技術的な本ではなく、心構えといったところでしょうか。特に第5章の「幸せ」についての箇所は、ミニマリストを目指していなくても読んでおきたいところです。

持たない暮らしと片付けの作法/日経おとなのOFF

 

日経おとなのOFFのシリーズは前から好きでよく読んでたんですが、持たない暮らしについての本が電子書籍で出ると知って即ポチりました。

個人的に「持たない暮らし」の衝撃はビジュアルで感じるのが1番だと思っているんですが、こちらには実例が数多く載っていて「モノを持たないってこういうことか…!」というのが非常にわかりやすいと思います。

「ただの片付け本」に留まらず、奥が深い片付け論も様々掲載されていて、薄いながらも読み応えたっぷり。入門編としても良いかもしれません。

新ガラクタ捨てれば自分が見える/カレン・キングストン

 

こちらも片付け本としては非常に有名ですね。他の片付け本と違うのは、風水の観点から「片付け」を紐解いているという部分でしょうか。わたしは(取り入れるか入れないかは別として)スピリチュアル自体にはそこまで抵抗はないのでスイスイ読めました。

風水は抜きにしても、部屋を片付けるとなんとなく部屋の気の流れがよくなる気がしますよね。そして、気の流れが良くなると自分自身のアンテナが敏感になる。それが「自分が見える」ということなのかも…ということを教えてくれた本です。

モチベさえ上がれば、片付けは楽勝。


片付けの進まなさって、モチベーションの低さというか、「面倒だな…」みたいに思う部分からくるものだと思うんですよね。そういう部分をこういった本で補うことで、「よっしゃ!やるか!」みたいなエネルギーが湧きやすくなります。

特に片付け本は実例が載っているものが多いので(今回紹介した本も、ほとんどビジュアルが載ってます)、ゴールが目に見えやすいのも良いかと。

どんどんモノは減らすべきですよ!ほんと身軽になると、「どこにでも行けるな〜」という気持ちにさせてくれますから。身軽になると行動力も上がります。そうするとなんだって出来ちゃいます。しかも結構軽い感じで。

土日は読書&片付け!と決めて、徹底的に片付け本を読んでモノをせっせと減らしてみてはいかがでしょう。わたしも衣替えと服の整理をせっせとやります!(この様子はそのうち別記事にあげます!)



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