Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

自分の人生の転機から考える。「好き」は生きるための最大のエネルギーだ。

こんにちは、しろです。

 

ここのところ、「自分の人生の転機」を振り返る機会が多くありました。(体調が良くなくて仕事が思うように進まず、寝込む時間が多かったというのもあって、思考の波が止められなかった)

 

わたしの人生の転機は、大きく分けて2つ。

それはプラスのものと、マイナスのもの。

 

プラスの転機は、迷うことなく「大学受験」だと思います。(大学受験については、過去記事で触れています)

 

shr0805.hatenablog.com

 

大学受験を通じて、わたしは「好き」を「徹底的にやり抜く」ことが、やりたいことをやる1番の近道であることを学びました。

 

マイナスの転機は、「就職」による「精神不安」でした。

 

過去にも軽く触れていますが、わたしは自分に合わない仕事に就いたことで(とは言え、これは会社責任でなく自己責任の部分が非常に大きく、「自己分析が非常に間違っていたこと」と「常識に捕われすぎて結論を焦りすぎ、判断力が鈍っていたこと」が最大の理由だと思う)、心身を壊しました。

 

具体的には、心の部分で言うと「怒りっぽく涙もろく」なった。ストレスの捌け口が見つからず、感情的になることも多かった。そんなわたしからは当然人も離れていきました。友人たちに寄りかかって生きていたわたしは、支えを失って空っぽになり(自業自得ですが)、何事にも楽しみを見出せず、好きだったはずのものもどんどん興味を失って、生きている意味をなくしていきました。

 

さらに、元の持病(これもストレスが原因という説があるけれど、まだ正確な原因は解明されていません)からくるだるさに加え、毎日の胃痛と吐き気による食欲不振で痩せ細り、頭痛と肩こりに悩まされ、職場には行くものの仕事に集中できなくなって仕事でありえないミスを連発し、そのことがストレスとなってさらに状況は悪化する…ということを繰り返していました。

 

次第に「すべてわたしが生きているからいけない」「周囲が期待するように物事をこなせない自分が情けない」ということがぐるぐると頭を回って離れなくなり、毎日「どうしたら楽に死ねるか」を考えるようになりました。仕事中でも涙は止まらず(突然ポロポロと泣き出す始末)、最終的には倒れ、救急車で運ばれる事態にまで発展しました。

 

周りに心配と迷惑をかけた結果担ぎ込まれた心療内科で下された診断は、「不安神経症」および「重度の抑うつ状態」。このままでは会社に迷惑をかけるだけでなく、「本当に死んでしまいかねない」と思い、「体調不良で続けられない」という理由で会社を去る決意をしました。業務内容に違和感こそあれ、会社には何の責任もない分申し訳なくて仕方なくて、そのことでも暫く頭を悩ませました。

 

会社では無理矢理明るく振る舞うようにしていたので、「体調不良」という理由に疑念を抱いた人も多かったと思う。実際、影でこっそり「元気そうに見えるのに、なんで?納得できない」と同僚が言っているのを聞いてしまったこともある。それでももう、全てが限界でした。今思えば、この「無理矢理明るく振る舞う」も、抑うつ状態を助長していたような気がする。

 

会社を離れたことで少しずつ快方に向かってはいるものの(なんとか「興味がある」ものを思い出し、結果としてそれを徐々に今の仕事につなげられるようになってきたので)、今でも完治したとは到底言えません。

 

相変わらず持病は治らないし(そもそも、再発率が高いこともあって「根治」は難しいという説もある)、「死ぬこと」は考えなくなってきたけど、「好き」のアンテナはまだまだ昔ほどの鋭さを発揮できていないし、不安神経症もお世辞にも「治った」という域には到達できていない(実際まだ寝込むことが多いし、定期的に通院もしてる)。

 

でも、その状態にならなければわからなかったことがある。

それは、いかに「好き」という気持ちがエネルギーになるかということ。このことは、抑うつ状態や不安神経症にならなかったら気がつけなかったと思います。

 

「好き」から来るエネルギーは膨大だ。それだけで生きている活力が湧いてくる。反対に、無理に感情を抑え込めば抑え込むほど、状況は悪化していって、生きる気力を失っていく。これも病気にならなければわからなかったことです。

 

発想の転換ですが、このマイナスの転機も、わたしにとってはなくてはならない重要な出来事だったかも。そう考えると、「会社に就職する」(合わない業務を経験する)ということは、わたしに必要なことだったのかもなあ、と思います。

 

でも、本当にひどく苦しい思いをしたし、(わたしは踏みとどまったものの)もしかしたらそれで命を落としてしまうという選択肢を選ぶ人も出てきてしまうかもしれない。というか、実際にいますよね。精神的な病から来る自殺は3万人以上いると言われています。このデータは古いものだったので、今はもしかしたらもっと多いかもしれないし、周りが知らなかっただけで実は原因がなんらかの精神的な病だった、という人もいるかもしれない。

 

そんな人がもう増えないように。わたしは「好き」をいろんな人がもっと感じられる時代になればいいなあ、と心から思うし、なんらかの形(例えば、こういうブログ)でそれを広めていけたらいいなあと思う。

 

その「好き」を知るための有効な手段の1つが「シンプリストとして生きる」ことなんじゃないかな、と思っています。わたしの中で、シンプリストこそ「『好き』を集めて生きている人」なんじゃないかと思う。不要なモノや考えや部分を削ぎ落として、残るのは自分が「良い」と思った考えや、「好き」と思えるものだけ。イコール、「自分軸」が確立している人。

 

そういう人が増えることで、もっと世の中は豊かになってくるんじゃないかな。

 

まだまだ「好き」のアンテナを磨いている最中のわたしが言うのも烏滸がましい話だとは思うのですがね。でもそういう状態だからこそ、今つらい人のために「こんなんあったよ!わたしこれで結構いい感じだけどどう?」と差し出すことに説得力が増してくると思うし、寄り添うことができるんじゃないかな、なんて淡い考えを抱いている次第です。

 

拙いブログではありますが、すこしでも誰かの「好き」を見つける手伝いができたらいいなあと思います。

 

読んだよ〜の一言で頑張れますので、よろしければ…!

 

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