Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

他人の目を気にする努力をするくらいなら今を生きる努力をしたほうがいい。



こんにちは、しろです。

突然ですが、わたしは元々物凄くネガティブなタイプで(それでもこのところ色んなものの見方が変わって大分マシになってきたのですが)、なかなか過去のことを手放せないタイプです。

無意識にそれが現れるのか、このところ突然夢見が悪くなったり、ぐっすり眠れなくて早朝に目が覚めてしまうこともしばしばです。(流石に0時に寝て4時に起きたときは「まじか!」と思った)

「どうすればいいですかね〜」と専門家の人に相談したら、「事実をありのまま受け止めるといいですよ」と言われて目から鱗が落ちました。

他人の目を気にしてるとロクなことにならない。

ネガティブな人と言うのは、基本的に他人の目を気にしているのだと思います。わたしはブログでかなり偉そうに「自分軸を持つのが大切なのでは」と言いまくっていますが(最近になってようやく「自分軸」で少しずつ物事を考えられるようにはなってきたのは本当なんですけど)やっぱりまだふとした瞬間に「他人の目」を気にしてしまう瞬間があります。

20代半ばまでという長い間「他人の目」を意識して生きてきていたので、当然と言えば当然な気もするんですけど。長年培った習慣というのは、なかなかすぐに方向転換するようにはできていない。

そもそも幼い頃から「みんな」いう言葉を押し付けられ(特に日本社会はそのような傾向が強いのでは)、周囲に気を使え〜とか、常識が〜とか足並みを揃えろ〜とかいう言葉が氾濫しているので、まあ無理もない話ですが。

周囲に対する礼儀が大切なのは否定しないし、礼儀を知っているからこそ物事がスムーズに進んで結果的に世界の選択肢が広がるということが往々にしてあるので、最低限の礼儀は身につけていて損がないのは事実だと思う。

でもこの「礼儀」というのは、あくまで「好きな人にたいして、ありったけの愛情表現をする」(陳腐な言い回しになるけど)ことであり、過剰に自分を卑下したり、心を閉ざして愛想笑いしたり、欲求を閉じ込めたりするということとはまた別物なのではないかな…と、最近になって考えるようになりました。「この人はどう思うかな?」「こんなことを言って嫌われないかな?」ということばかり考えるようになると、結局人の目に依存した行動をするようになるし、周囲に振り回されて自分がすり減ってなくなっていくので、結果としてロクなことにはならない。これはわたしの実体験からもそう思います。

必要なのは抑圧じゃなくて開放なのだと思う。

元々を辿ると本当に小さな頃は「やりたいように」生きてきたはず。その時は毎日が楽しくて毎日がきらめいて、世界がどんどん広がるような気分になってワクワクしていた。

それが周囲の抑圧によってなりを潜めるようになって、結果「自分の好きなものがわからない…」「やりたいことってなんだろう…」と鬱々となって、心身を壊すことになりかねない(わたしはなりました)。そして最悪の場合は「生きてる意味なんてない」と死を選ぶ人もいるのだと思う。日本の自殺者は延々と増え続けているから、これはあながち間違っていないんじゃないかな。

そんな状況を打破するには、冒頭の通り事実をありのまま受け止めることが大切なのだと思う。例えば、人と向かい合って話している。自分が何を話そうとも、自分の言葉で相手の感情をコントロールすることはできない。人の感情は人の数だけあるから。その事実を受け止めるだけで、随分と気の持ちようが変わってくるんじゃないでしょうか。

そこで「あなたはそう思うのね、その価値観は受け止める。でもわたしはこう思う。わたしの価値観はこれだから」と「自分軸」で考えられるようになると、人と向き合って精神を磨耗する確率はかなり低くなる。自分の価値観も相手の価値観も受け止めて開放できるようになれば、物事はもっともっとスムーズに進むと思う。「自分の方が正しい」と価値観の押し付けが生まれるから、物事がこじれて抑圧が生まれる。

ありのままがダメなんてことはない。

抑圧と言えば、わたしは幼い頃(多分4歳くらいだと思う)、突然(本当に何の脈絡もなかった)「嫌い」と言われたことがあります。今思うと身に覚えがなさすぎて「なんのこっちゃ!」となるのですが、もう25年近く経つのに未だに覚えているのは、多分その時初めて「嫌いだ」と言われたことで自分の行動が制限されるようになった(抑圧された)からだと思います。「ありのままじゃダメなんだ」と思って、「嫌われないように」愛想笑いをする日々が始まるようになりました。

そのことを最近になって思い出して、事実だけを受け止めることにしました。「嫌いだ」と言われたのは、その子の価値観がわたしの価値観と一致してなかったから。ただそれだけなんです。ただそれだけのことなのに、わたしはなぜか「嫌われるのはいけないことだ」と思い込んで、自分を開放するのをやめてしまいました。それが大人になっても影響して、色々なことの奥底にそれが燻っていたような気がする。わたしが心身を壊したのはそのことが直接の結果じゃないけれど、わたしが今まで選択していたことの根源にはその出来事(というよりも、その出来事を通して「嫌われちゃいけない」と思ったこと)の影響がないとは言い切れない。

つらつら書きましたが、別に自分のことを「嫌い」と言い放った人を恨んでいるわけでも、「全部お前のせいだ!」と思っているわけでもありません。乱暴に言えば心底どうでもいいと思っています。それは多分、自分が「自分軸」で物事を考えられるようになってきたからではないかと思う。自分の考えは自分の考えでいいし、相手の考えは相手の考えでいい。どうせ人なんてコントロールできないんだから、自分は自分の思った通りに、やりたいようにやればいい。雑にまとめると「ありのまま」で生きていったって別に良い。ダメなんてことはない。それで誰が何を思おうと、それはその人の勝手なのだから、自分の領域ではない。自分の領域でないことに振り回されても仕方がない。それにもう少し早く気づいておけばよかったなーというだけです。

明日死ぬなら、今何をすべきか。


何事に於いても、他人に振り回されるって、1番身にならない時間の使い方だと思います。自分の時間はあくまでも自分だけのもので、しかも時間は有限です。お金は増やすことができるけど、時間は溜め込んだり増やすことができない。それだったらわたしは自分の時間を全部自分のために使いたい。明日死んでも後悔しないように「今持ってる時間」を使うことができれば、人生の充実度というか幸福感は桁違いになるんじゃないかな。

「自分軸」は自分の一生のテーマになりそうです。そう思うとなんだかワクワクしちゃうな!「自分軸」で考えると掘り下げられることがたくさんありそうです。

 

読んだよ〜の一言で頑張れますので、よろしければ…!

  

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