Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

「モノ」で心の空白を埋めようと思うのは無意味。

こんにちは、しろです。

 

わたしは今でこそモノを捨てに捨てているのですが、かつてはとんでもないモノ持ちでした。(特に衣類関係が多かった)

 

ストレス発散じゃ〜!とありとあらゆる媒体を駆使して(ネットってこういうのできちゃうから本当に怖い)、片っ端から買い物をしていたように思います…。

 

仕事でストレスを抱える→ストレス発散のために買い物をする→金が尽きる→仕事をしなければならなくなる→ストレスを溜める→発散のために買い物(延々とループ)

 

次第にはモノを溜め込むのと同時にストレスも抱え込み、結果として心身壊れました(遠い目)

 

モノを溜め込んだところで空白は埋まらない。

わたしが何故こんなにも買い物をしていたかというと、前述した通りストレスなんですが、もっと深く突き詰めていくと「ストレスによって生じた空虚感」を埋めようとしていたような気がします。

 

「自分がどうしたらいいかわからない」「なんだか気持ちが空っぽな気がする」「なんとかして埋めないと!」という、一種の強迫観念にも似た何かを感じていたんじゃないかな、と今になって思います。

 

しかしそれは、わたしの行動の結果からしても無意味なのは明白です。

 

本当に空白を埋めたいのならば、原因の対策をしなければならない。

そう。本当に「空虚感」をどうにかしたいのであれば、必要以上にモノを溜め込むのではなく、その「空虚感」が何から発生しているのかを考え、さらにその「空虚感」の元を断ち切ることから始めないと何の意味もなさないんですよね。

 

わたしの例で言うと、「仕事」が「空虚感」の原因なのだから、仕事に対する何かを変えなくてはならない。

 

わたしは結局「仕事を離れる」ということで解決しましたが、まあ仕事を辞める以外にもほかにも色々方法はあるでしょう。部署転換を申し出るとか、業務内容を変えてもらうとか。転職するとか。(わたしは単純に「会社勤め自体がストレス」だったので、「会社という組織から離れる」以外の選択肢がなかったんですが…)

 

「原因」に対する「策」をいくつ持っているかが、今の時代を生きる鍵かもしれない。

とは言え、根本の原因を断つにしても「これしか方法がない!」と追い詰められてさらにストレスを抱えては本末転倒というもの。もしかしたら、今後「自由に生きる」ためには、「1つのことに対して色々な手を打てること」が大切なのかなあ、とも思います。

 

そうすれば万が一の場合に追い詰められることもないし、もしかしたら色々な選択肢を試しているうちに新しい道が開けるかもしれないし。

 

要は日々勉強せよ行動せよ!ということなのですが、それをわたしが実際できているか?と言うと…うんまあ…試行錯誤中ですね…。(なのでえらそうなことは微塵も言えない)

 

モノを溜め込めば溜め込むほど、「なんだか空虚感が増す…」という人は、もしかしたら根本のところから少し見直す必要があるのかも。(わたしは見直したらだいぶマシになってきました)

 

しかもモノを減らすことによって「自分軸」=「自分が好きなこと」「自分がやりたいこと」が明確に見えてきやすくなるので、個人的にはやっぱりモノは最小限にしていくことをおすすめしたい次第。

 

というわけで、わたしも日々モノに関する考え方はアップデートしていきたい。そんなこんなで今日も諸々のモノを整理中です。

 

読んだよ〜の一言で頑張れますので、よろしければ…!

 

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中の人「しろ」

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