Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

人生のハードルは想像よりも低い。

こんにちは、しろです。


「1日に1回やったことないことをやろうプロジェクト」をしよう、と決めて2日経ちましたが、「やったことないことには驚きが待っている」という仮説が真実味を帯び始めているなあと思いました。

 

shr0805.hatenablog.com


わたしが昨日やったことは2つ。(もうこの時点で1回じゃなくなってるけど、まあそれはいい)

自分の感情をさらけ出すことでリターンを得る。


1つは、どうしても「寂しい!寂しい!」という気持ちが抑えきれず、プライベートのtwitterで「寂しい!!!!誰かと話したい!!!!」と自分自身の感情をオープンにしてみたこと。

すると、普段関わりのないような友人たちまでがちょろちょろとアクションをとってくれて、「体調良いときにでもこっちにおいでよ」(地方在住者)と言ってくれたりとか、「この本読んでみるといいよ!」と自分なりのおすすめの本を教えてくれたりとか、「無理しないでね!」という言葉をかけてくれたりとか、とにかく色々な言葉で友人たちなりにわたしを支えようとしてくれました。

それがなんだか嬉しすぎてtwitterにまで投稿してしまった。


今までわたしは自分の感情をオープンにする(真のコミュニケーションをとる)ことが非常に苦手で、上辺だけで取り繕ったり愛想笑いを繰り返して「万人ウケする」態度ばかりとっていたのだけれども、感情をオープンにするだけでこんなにもリターンが来るのかと感動してしまいました。そして同時に「人のつながりで生かされてるなあ」と思って、そういえば人生は「人が生きる」とも書くけれど「人に生かされる」という書き方もするなあと思って、生きることはつまり生かされることなのだな、としみじみと感じたりしました。

この発言をするまで鬱々と「寂しい…寂しい…」となっていたのですが、オープンにしてリターンがあった瞬間になんだか寂しい気持ちさえ生きてる証拠!と思って楽しくなって、「寂しいイエエエエエエイ!寂しいのも割と悪くないな!!!!!」みたいな謎のテンションになってしまいました。寂しいのすら楽しかった。

ぶっちゃけてみると案外許される。

やってみたことのもう1つは、労働の先送りと辞退を申し出たこと。

わたしは「仕事(自分がやりたいと心を動かされること)」だけをやりたいと思いつつも「労働(「楽しくないなあ」と思いながらなんとなくやっていること)」をやっている部分が少なからずあります。いずれその比率も下げられたらと思いますが、今は契約途中のものもあるので(自分の価値観から)それらを投げっぱなしにすることができず、最低限ですがちょこちょことやっています。

 

shr0805.hatenablog.com



その労働に対して、会社員根性が抜けずに「なんとかスピーディに!」みたいな意識を取っ払えずにいたのですが、いくつか抱えている進行中の案件の中で2つに対して「精神状態的にどうしても今すぐできない!」というものが1つ、「なんかこれほんと微塵もやりたくねえな」というのが1つあって、思い切って延期と辞退を申し込みました。(「微塵もやりたくねえ」という方に関しては本契約前だったのもあって辞退を申し込めたというのもある)

どちらも自分の感情をそのまま垂れ流して、「というわけでちょっと延期させてください」「というわけでやっぱり辞退します」的な言葉で(もうちょっと丁寧な言葉遣いで)締めたのですが、案外あっさりと「いいですよ!無理しないで!」的な言葉を投げかけてもらえて、わたしはあっさり「すべてスピーディにやらねばならない思考」から自由になることができました。

「ああ、自分でこだわってただけで、案外あっさりと許されることもあるんだな…」とわたしは暫し呆然としつつ、許してもらえたことに感謝と(その許してくれた人に対する人間的な)愛情を覚えました。そして「やってること自体は労働かもしれないけど、この人い対しては『仕事』をしたい」と思いました。


人は案外、自分をオープンにしても拒絶されない。

今までは「自分をさらけ出したら嫌われるかも」と思う部分がどこかにあって、行動を起こすことにためらいを感じたりしていました。しかしそれを取っ払って、「相手が何を思っても仕方ない!だってそこはわたしがコントロールできることじゃないし!でも自分の行動は自分でコントロールできるから!やるしかない!」と思って一歩踏み出してみたら、自分が思ってるよりも人間はそれを拒絶しないというか、柔軟だし優しいし、それに生かされることで楽しくなれたり自由になれたりするんだなとこのプロジェクトで発見しました。

人は感情をオープンにすると楽しく自由になれる。だからもっと「自分軸」を突き詰めて進んでもいい。

わたしは新たな許しを得るような感覚を覚えて、もっともっとやれることはあるなあという謎の自信まで芽生えました。

恐怖はハードルに似ているなあ、と思います。しかしその目の前のハードルを飛び越えてみたら、想像よりも違う「案外いい景色」が見えることもあって、それを知るとハードルがあまり越えられないものには見えなくなってくる。次に出てくるハードルも越えられるような気がしてくる。

人生は意外と厳しいものではないのかもしれない。そう思います。




 

読んだよ〜の一言で頑張れますので、よろしければ…!

 

 

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