Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

「期待」なんて毒にしかならない。



こんにちは、しろです。

労働をしていると必ず発生する「コミュニケーション」。わたしは今、それにぶちあたっています。

わたしは接客業の経験もあるし、かつては営業をしていたこともあるので「愛想笑い」とか、「万人受する態度」をとることはできますが、それは真のコミュニケーション能力ではなく「人に振り回されることが得意」なだけに過ぎず、「それってただ精神を磨耗させているだけなのでは」と思います。

自分をさらけ出すこと=コミュニケーション


「じゃあ本当のコミュニケーションってなんだよ?」ってことになると思うんですが、本当のコミュニケーションは「惜しむことなく自分をオープンにして相手に接すること」なんじゃないかなあ、というのがここ最近考えていることで。自分がオープンに愛情を伝えれば相手にも伝わって、それが結果的に良い関係を築くことができるのだと思う。(そしてこれが相手に対する礼儀なんじゃないかとも考えてる。礼儀については前回の記事でちょっと触れてます)

shr0805.hatenablog.com

「期待している」という言葉は、「利益を生み出せよ」という圧力に聞こえる。

そして今ぶち当たっているコミュニケーション(と一般的に思われているもの)なんですが、最近ありがたいことに(労働で)「期待してる」と言われることが非常に多くて。

でもわたしはこの「期待している」という言葉が非常に苦手で、昔から「いやいやちょっと待って、期待とかすんなよ」となってしまうんですね。それはなんでだろうなあ、と思ったんですが、「相手が自分に有益なものをもたらしてくれる」という思惑が透けて見えることにうんざりするんじゃないかな、と気がつきました。

わたしも人間なので人並みに承認欲求はあるし、褒められれば嬉しいし「やったぜ!」みたいな気持ちにもなりますが、そこに「期待」という言葉を乗せられてしまうと一気にプレッシャーになる(我ながら面倒だと思ってます)。なんだか「俺の(わたしの)思う通りにやってくれよ!」みたいな圧力を感じて、「いやいやわたしは出せるもん出すだけですし、そこに勝手に利益を見出そうとすんなや!」っていう気持ちになってしまうんですね…。

多分「期待してるよ」と言われて嬉しい人って、「他人軸」で生きてる人が多いんじゃないかと思う。「言われた通りにやることが正しい」と他人の価値観に判断を委ねているから、「期待」という言葉で頑張れるのだと思うのですが、(幸なのか不幸なのかはわからないけれど)わたしはそういうものに対しては「抑圧されてんなあ」と思ってげんなりしてしまいます(出る杭は打たれる的な)。

自分がやったことが結果的に相手にとって利益になるのならばハッピーだし、やったねワーイ!となるんですが、初めから利益を期待されると「うへえ」となってしまうのが正直なところです。

だからわたしはこれからもやりたいようにやるし、結果として誰かがそれで満足してくれれば嬉しいなあくらいの気持ちで(期待を無視して)黙々と労働したり(なるべく減らしたいですけど)、ブログを書いたりしていこうと思っています。

「シンプリスト」とか「シンプルライフ」とか銘打ちながらも実践系の記事よりも考え方の記事が多いのもその辺が影響してるのかな…。(書きながら気がついた)

実践系はやりたいと思ってるのでそのうちやるんですけど、「やりたい!」「やってみたぜ!」というときに思い立ったようにアップするスタイルで行きたいと思っています。

なのでもしかしたら、「チッ、なんだこのブログ、期待したのとちげーじゃねーか!」みたいに思われる人も少なからずいらっしゃるかもしれないですが、そもそも誰かの期待に応えようと思って始めたブログではないので(自分の考えや行動をさらしていって、それが結果的に誰かに届いたり役立ったりしたらハッピーだなくらいの気持ちでやっているので)、ご了承いただければ嬉しいなあと思っております。


 

読んだよ〜の一言で頑張れますので、よろしければ…! 

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