Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

一瞬一瞬に命をかける。時間を味わう贅沢さを自分に許すと癒しが得られる。




こんにちは、しろです。

今回は知っておくとちょっとお得な(?)心構えのような話です。

時間を消費していくと、枯れる。

毎日焦ってばかりいると、自分自身のエネルギーがどんどん枯渇していくなあと思います。納期に追われたり悩んだり(結論が出ないことを頭の中でぐるぐるさせてる状態)って、とんでもない時間の消費なんですよね。そしてそれを続けていくと、自分の中にある感性がなくなっていく。

そんな話を専門家の人としていたのですが、「そういうのは簡単に解消できますよ」と穏やかな微笑みを携えながら言われたので、覚書と共有がてらしたためてみようかと。

自分を癒すためには、「瞬間」に集中すること。


専門家の方によると、「自分を癒す」というのがエネルギーのなくなっている状態には非常に重要なんだとか。そしてその自分を癒すということは、「瞬間」に集中するのが1番良いそう。

例えば、食事をしているとき。1つ1つの味に集中する。
例えば、お風呂に入っているとき。温度の心地よさや香り(バスオイルなんかを入れるとより良いとのこと)に集中する。

それだけでかなり心のエネルギーが満たされ、活力が湧いてくるそうです。要は自分を「快」の状態に常に置いておくということですね。

自分のアンテナを張るためにも、集中力が必要。


わたしは常々「シンプルに生きるためには自分のアンテナを張ることが重要」と思っているのですが、そもそも自分のアンテナを張るためには「好き」や「心地よい」に集中する必要があるんだな〜と、今回の話を経て考えさせられました。

そのためには、余分なノイズをひたすら削ぎ落とすこと。具体的に言うと、「嫌だな」「しんどいな」「気分良くいられないな」ということを徹底的に削る!不必要なモノや感情に振り回されていると、自分の「好き」や「心地よい」が見えづらくなって、息苦しい毎日になってしまうので。

特に今は、自分の「嫌だな」を殺しにかかってる社会になっている(ような気がする)。長時間労働を押し付けられたりとか、よくわからない人間関係に振り回されたりとか、ひたすらへこへこ愛想笑いしなきゃいけない状況に陥ったりとか。

ノーと言えないのは優しさでもなんでもない。

「謙虚」とか「思いやり」は日本人の美点ですが、単純に「ノーと言えない」のは、謙虚や思いやりとは違うんだよな〜と。それは単に「他人にいい顔したいだけ」であって、「他人に振り回される」=「他人軸で生きている」ことに他ならない。自分自身がそうだっただけに、余計にそう思います。実際、わたしが無意味な雑用を引き受けたりとか(仕事もプライベートも、「それってわたしがやらなくても別にいいんじゃ…」的なことでもガンガン安請け合いして、結局心身ともにしんどくなりました)、人に嫌われないようにあちらこちらに振り回されて、楽しくもないのに笑って。

別に楽しくなかったら笑わなくてもいいし、自分のやりたいことをやりたいようにやることは悪いことでもなんでもないし。そう気がついたら、スーッと肩の荷がおりました。

だから、物事にぶち当たるたびにこう問いかけるのが大切なんじゃないかな。

「なんでもかんでも安請け合いしてない?」
「楽しくないのに笑ってない?」

って。

そもそも安請け合いしたり楽しくないことで笑ったりするのってめちゃくちゃ時間と精神の消費になるし、そんな人生生きてて楽しいのかなっていうか楽しくなかったです(経験談

自分が心から「好きだ!」「やりたい!」って思えることに時間を割り当てたほうがよっぽど充実した人生になるし、満足度が高いし、たとえ明日死んだとしても「やりきったぜー!!」みたいな気持ちになるんじゃないかと。

というわけで、わたしもそんな人生を歩んでいきたいものだなあと心底思っています。そのためにはわたしはまずエネルギー補充からなので(磨耗しすぎて空っぽになってしまった…)、日々の些細なことに集中して自分のアンテナを張っていき、「心地よい」「好き」を探してそれに浸っていこうかな!と考え中です。

近いうちに今まで「好きだ」と思ったことがある場所へちょこちょこ赴きたいなあ。好きなものとかきれいなものを見てエネルギーをチャージしたい…。



読んだよ〜の一言で頑張れますので、よろしければ…!

 

 

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