Shimple.

やりたいようにやるために、できる限りシンプルに生きたい。

当たり前だけど気がつけないこと。食べることで力が出る。

こんにちは、しろです。

 

梅雨空の所為か、どうにもこうにもやる気が出ない日々が続いています。じめじめした空気の中で活動するのって結構億劫で、仕事の納期が差し迫ってないこともあっていまいちエンジンがかからず。

 

そこで、比較的(自分の中で)簡単なタスクである「1日に1度やったことないことをやろうプロジェクト」をなんとかやってみるか、と重い腰をあげました。

 

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ターゲット決め。

とは言え、腰同様重い頭ではなかなか考えつかず、昼時だったのもあり、とりあえず家から徒歩30秒のコンビニへ。ブラブラと店内を回って目に飛び込んできたのは、今まで食べたことのないメニュー。

 

よし、これだ。

 

今日の「やったことないことをやってみる」は、「食べたことのないものを食べてみる」にし、そこから何を得られるか?ということに目標を定めてみました。

 

たまに「普段と違うもの」を食べてみると。

基本は粗食を心がけているわたし。しかし毎日粗食ばかりで、飽きが来ていたのも事実。そこで、思い切って普段食べることのない、がっつりとしたグラタンを選択してみました。

 

芳醇なクリームソースの香り。したたるマヨネーズ。光に照らされる照り焼きチキンの色艶。魅惑的ってこういうことか…と、思わず唾を飲み込みます。

 

世間的な常識として(かはわからないけど)カロリーは美味い。粗食を基本とした方が体調が良いのは事実なのだけれども、それでも思う。カロリーは美味い。非常に大切なことなので2回言わせていただきました。

 

実際、食べない生活を続けていくと、このカロリーが体に染み渡る感じが鮮やかに感じられます。そして思わず声にも出る。「カロリーは美味い!!!!!!!!」3回目です。いい加減しつこいのですが、連呼したくなるほどにカロリーの尊さを感じてしまったのです。意外な部分で粗食の効果を感じることができました。

 

削ぎ落とす生活をしていくと、たまに入ってくるものに感謝できるようになる。

 

普段はできる限りシンプルに、削ぎ落とす生活を心がけるようにしています。そうすると自分のアンテナが敏感になる気がするから、というのが最たる理由なのですが、思わぬところでそれを実感する結果となりました。

 

削ぎ落として削ぎ落として、取り入れるものをシンプルにしていくと、たまに入ってくる新しいもの(刺激)が、今まで以上に尊いものに感じられる。そして、これを享受できることがありがたいなあ、としみじみ感じることができるようになるんですね。

 

今回はたまたま「コンビニグルメ」という非常にお手軽なもので実感できたのですが、これって結構いろんなことに通じるんじゃないかな。余計なモノや行動を削ぎ落とす。そして自分の「好き」を軸にして、いろいろな世界に足を突っ込んでみる。そうすると、そこで得た刺激が自分に新しいことを教えてくれる。そして深く、そのことに感謝できるようになる。

 

そういったサイクルがあることに気がつけたのも、この「シンプルな生活」をするようになった得たことだなあと思います。

 

馴染みがあるものも良い。でも、新しいものも良い。

 

うまいことバランスをとって生きていきたいなあとおもます。

 

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「効率化」は度外視。「徹底的にやり抜く」ことで人生が変わった話。

こんにちは、しろです。

 

このところ、自分の過去を思い返すことが多いです。というのも、「自分の軸」を探したいから。自分の好きなものや夢中になったことをピックアップしていくことで、「自分の軸」がより強固になって、人生がより豊かになるんじゃないかなと考えたからです。

 

好きなことを「徹底的にやる」。それだけで人生は変わる。

わたしが夢中になってやったことってなんだろう。そう考えたときに最初に思い浮かんだのが「大学受験」でした。

 

(全くもって自慢のつもりではないのですが)わたしは独学で、所謂有名私大(…と言っていいはず)に合格しています。

 

大学受験をするにあたって「独学で受験する」ことを決めたのには、3つの理由があります。

 

まず1つ目は、「大学受験しよう!」と思い立ったのが受験日の3ヶ月前(めっちゃ遅い)だったため。予備校に通うにはあまりにも遅すぎますし、何より時間がなさすぎます。予備校に通学する時間自体が惜しかった。…はずなんですが、その割に1日11時間寝てたし(言い訳のようですが、集中しすぎて疲れるので、睡眠で疲れをとらないとやっていけなかった)、受験前日は新世紀エヴァンゲリヲン全話一気見してるし(これは言い訳しません!勉強に飽きただけです!!)、単純に「予備校」という新しいフィールドに飛び込む勇気がなかっただけという説もある。

 

2つ目は、お金がなかったこと。わたしは当時専門学校に通っていて(直後に受験勉強に専念するために中退します)、両親には既に多額の援助をしてもらっていました。専門学校は授業料がバカ高いのは言わずもがな、わたしが行っていた美容系の専門学校は道具やらなんやらにも非常にお金がかかって、自分のアルバイト代だけじゃ到底対処できなかったからです。

 

そのため、受験費用と入学後の費用を全て自分で賄う必要がありました。(実際、大学に関する費用は全てほんのすこしの貯金と奨学金で賄いました)

 

しかし、当時のわたしはガッツリとアルバイトをしているわけでもなく、週3〜4くらいで数時間程度アパレルの販売員をしているのみ。交際費や趣味、授業に使う道具だけでアルバイト代がほとんど吹っ飛んでいました。(加えて、わたしが働いていたお店では自腹で服を購入しなければならなかったので、貰える金額はそこまで多くありませんでした)

 

その状態で予備校代まで自分で負担することは不可能。しかも受験勉強に集中したかったので、アルバイトを辞める必要もある=実質無収入。よって、自分で参考書を頼りに四苦八苦しながら受験勉強をせざるを得なかったのです。

 

3つ目は、「なんとかなる」と思っていたから。わたしの受験した学部は、幸いにも1科目受験が可能で、しかもその科目は自分が学生時代に最も得意としていた国語。そのため、「独学でもまあなんとかなるか」くらいの気持ちになることができました。

 

ここまで書いておきながら、実はわたしは大学受験をするにあたっての有益なアドバイスが微塵も出来ません。それは何故かと言うと、わたしの受験勉強方法はたった1つ。「ただひたすら打ち込んだ」だけだったからです。

 

緻密にタイムテーブルを組んだわけでもなく、小難しい理論や記憶術を駆使したわけでもなく、手当たり次第に参考書と過去問を引っ張り出して、ただひたすら勉強をやり込んだだけ。「ここが苦手だから、ここを徹底的にやり抜こう」「この漢字の読み方が難しいから、覚えられるまで何度もやろう」と、1つ1つ苦手分野を潰していっただけ。

 

そんなわけで、わたしがこれから受験勉強に立ち向かおうとしている人や、今受験勉強中という人、そしてそんなお子さんを抱えて困っている親御さんに言えることと言えば、「四の五の言わず、とりあえずやれ(やらせとけ)!!!!!」くらいのことしか言えないんです…。

 

あと、現実的に言うとわたしのパターンはかなり特殊で運要素が強いと思います。行きたい大学の行きたい学部がたまたま自分の得意科目のみで受験できたわけですから。多分これが何科目も受験必須(というか、大体の大学ってそうですよね?)とかだったら、わたしも3ヶ月で合格できるか非常に怪しい。

 

「ブランク2年、受験勉強3ヶ月で大学に行った」という実績があると「頭が良い」と勘違いしてくださる方もいらっしゃるのですが、ものすごく正直に言うと、わたしは決して「理解力が高い(頭が良い)」とか「記憶力がずば抜けている」というわけではありません。

 

成績自体は(国語だけが飛び抜けて良かったのと、体育の点数のつけ方が甘かったのと、興味のある美術系の科目で稼いでたから)中の上、もしくは上の下レベルをキープしていましたが、良くも悪くも本当に「やりたいことだけやる、やりたくないことはやらない」主義。そのおかげで、夢中にはなれなかった(興味がなかった)英語も日本史も世界史も政経も平均レベル(自分が行った大学の他学部に合格できるか怪しい)しかできませんし、理数系に関してはギリギリ赤点回避レベルです。(小難しい公式とかが本当に覚えられない。よって、数字は未だに苦手です。「営業職」などという数字に密接にリンクした職業を選んだのがストレスになるはずだ!)

 

ただ国語だけが物凄く好きで、国語だけなら、現代文でも古文でも漢文でも、何時間でも勉強できた。どんな難しい問題でも挑戦できた。だから結果として、受験勉強期間が短くて済んだし、ブランクがあってもなんとかなっただけです。

 

なんでも良い。とにかく、やりたいことをやろう。

今回は自身の受験勉強の体験を例にしましたが、これって何事においても重要なんじゃないだろうか、と思います。「徹底的にやり抜く」ことで、何かを極めることができる。それが結果として、人生を左右する。だから、効率化とかは二の次で、大切なのは「とにかく、やりたいことを徹底的にやる」。それに尽きると思います。

 

やりたいことを徹底的にやれば、自信にもつながります。その結果、「自分軸」はさらに強化されて、どんなことがあってもぶれない自分自身になれる(と思う)。わたしは社会の荒波に揉まれて、やりたくないことをやって、結果的に心身を壊しました。だからこそ余計に強く、「やりたいことを徹底的にやりたい。そして自分の軸をさらに強くしたい」と思っています。自分が過去にそれで結果を出して、人生が豊かになったことがあるから尚更。

 

そのために今は「好きなもの探し」「やりたいこと探し」を1からしている状態です。今まで自分が好きだったことや夢中になったことを思い返したり、はたまたやったことないことをピックアップしたり(「1日に1度やったことないことをやろうプロジェクト」もその一環です)もしています。(新しい世界を見るためには、色々な世界を知っておく必要があると思っています)

 

shr0805.hatenablog.com

 

もしこのブログを読んだことをきっかけに、「やりたいことをやろう!」と思っていただけたら嬉しいです。

 

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中の人「しろ」

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恋は所有。愛は共有。

こんにちは、しろです。

 

モノを減らす過程で、「所有」は「恋」によく似ているな、と感じるようになりました。

 

「所有」は「恋」

「自分だけのものにしたい!(所有したい!)」と思う気持ちは、恋とよく似ていると思います。そして、落ちるのにある程度の理由がいる(と思う)。「可愛いから」「優しいから」「格好いいから」「一緒にいると楽しいから」とか。恋は勝手に落ちるもの、と言うけれど、わたしはあまりそうは思わない。感情を探っていくと、どこかに何かしらの理由が存在していると思う。

 

例えば不必要に増やしてしまうモノも同じ。「可愛いから」「便利だから」「おしゃれだから」、自分のモノとして所有したい。場合によっては、そこに「欲望」が含まれるかもしれない。「可愛いものを持っていれば周りに注目される」と、「格好いい人と一緒にいれば自分もそれにふさわしくなれるかもない」はほとんどイコールなんじゃないかな。

 

結局、「所有(恋)」は、自分本位な考え方でしかないんだと思う。よく「恋は下心」とも言いますしね。

 

「共有」は「愛」

「所有したい!」という気持ちに対して、「広めたい」とか「他の人にも知ってほしい」という気持ちは「愛」からくるものだと思う。

 

例えば、わたしは本を凄く愛しています。でも、「独占しよう!」とは思わない。(コレクター癖もないし、集めることで優越感に浸るようなこともない。そういった感情がある時点で「愛」じゃなくて「恋」だと思う)わたしは「本」というツールを通して、物語の素晴らしさや知識がもっともっと広がればいいと思ってるし、自分だけのものにするのはつまらないことだと思う。だから、わたしはおすすめしたい!という本なんかはポンと貸してしまうし、場合によってはあげちゃっても良いと思ってる。それでその本に詰まった物語やそこから得る知識、感情がその人に何かしらの影響を与えることができたら、それだけでわたしも十分に幸せだから。

 

例が1つだとなんだか説得力に欠ける上に浅く思えるので、もうちょっと深堀するやめに(凄く雑に)例を出してみます。

 

例えば、高級車。高級車を「所有」したい人は、そのことで自分のステータスを上げたいという欲望があると思う。でも本当にその車を「愛している」人であれば、「これすっごくいいよ!」と、ポンとその車を貸してしまったりするんじゃないかな。

 

人間に対しても同じことで、(自分がどうなっても)「この人のために何かしたい!」「この人の良さをもっと広めたい!」とか「いろんな人とこの人の良さを分かち合いたい!」という(特別な理由のない)感情が生まれれば、その時点でそれは「愛している」ということなんじゃないかな、とぼんやりと感じています。まだ完全に掴み切れてないし、自分の語彙力でこの感覚が説明できる自信がないのだけれど。

 

恋は狭義、愛は広義。

 

結局のところはこれに尽きると思う。「恋」はなんとなく、とてつもなく狭い範囲(1対1)で行われるイメージがある(それこそ恋人とかですね)。でも「愛」は(対象が人だとすれば)そこに男女の区別はなく、対象は広い(大げさかもしれないけど、全人類に対して適用可能)のだと思う。

 

そして結局、今の世の中に欠けていて、最も必要とされているのが「愛」だと思う。

 

誰しもなんらかの欲望を抱えている。本能的な部分もあるので、人間が生きている限り絶えることはないと思う。でも、その比重が大きすぎるのが「今」なんじゃないだろうか?と思うことがしばしばある。

 

所有は「自分の欲望」であり、つまるところ「相手を思い通りにしたい」という考えにつながると思う。その結果が過剰な労働だったり、ワンオペ育児とかそういうものにつながるんじゃないかな。(本当に相手を愛しているなら、無理はかけないものではないのだろうか)

 

ももっとその欲望をそぎ落として限りなくシンプルにしていけば、いつか「愛」の比重の方が大きくなるんじゃないかなあ、なんて考えている。

 

わたしも少なからず欲望はある。今も正直に言ってものすごく眠たいので(珍しく連日外出して非常に疲れている)、「睡眠」というものを自分のものにして横になりたい。

 

でも「文章を書く」という行為を「睡眠」以上に愛しているので、眠たい気持ちを抑えつつもなんとかブログを書いている。これが正直に言ってなんの実を結ぶかもわからない(実を結ばないかもしれない)けれども、ただただ「愛している」からそうしたい。

 

この「愛している」という気持ちをもっと多くの人が根本的に持てば、世界の大体の問題は解決すると思う。大袈裟に思われるかもしれないけど、結構真理を突いているんじゃないかな。

 

わたしはできる限り、「愛」で生きていけるようになりたいと切に思っています。

 

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中の人「しろ」

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気持ちを新たに。Bloggerからはてなブログへ移行した理由3つ。

こんにちは、しろです。

 

Bloggerさんにお世話になっていましたが、改めてはてなブログさんでブログを始めることにしました。(Bloggerさんで書いていた記事は現在少しずつ修正中です….。修正後、Bloggerさんの記事は全部削除します)

【追記】全て編集完了しましたので、引っ越しのお知らせ以外を削除しました。

 

今回お引っ越しに至った理由は3つ。

1.管理画面の操作性重視。

つまり、Blogger難易度が高すぎてついていけなかったというわけです。テンプレなんかをいじるのにも、結構うんうん唸ってたりなんかして…。

 

生活も操作性もよりシンプルに!(かなり後付けの理由)ということで、はてなさんへのお引っ越しを決めました。

 

2.公式アプリがある。

これは結構理由として大きい。Bloggerは公式アプリがないんですね〜。(数年前まであったような気がするんですけど)

 

なので、iPhoneで記事を書きたい!という時に、結構苦戦してました。

 

その点、はてなさんは公式アプリがあるので記事もより書きやすくなるので(といっても現時点ではPCで書いてるので、今後に期待!という感じですが)、記事の更新頻度も上げられるかな?と。外出先の隙間時間でブログを書くことができる…!圧倒的感謝…!!!!(実は先日鎌倉に行ったときも横須賀線内で書こうと思ってたんですが、あまりの書きにくさにより1分で断念し即寝しました)

 

3.ユーザーとの交流が持ちやすい。

 

Bloggerはなかなか孤独でした…。その点はてなさんは「はてブ」などの機能もあり、ユーザーとの交流が非常に持ちやすい環境にあると思いました。

 

このところ「人と交流する!」を密かに目標として掲げているのですが、チキンなのでなかなか交流が持ちづらくて。こういったオープンな場所ならそのチキンぶりも多少は解決…する…はずだ…!!!!!!(希望的観測)

 

もちろんどうなるか全くもって未知数なんですが、少しでも前向きにやっていきたいなと思い、お引っ越しを決意しました。(リアルで環境変えるよりも簡単だし)

 

そんなこんなで(強引なまとめ)、新しい「Shimple.」もよろしくお願いいたします。

 

 

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中の人「しろ」

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「心の避難所」で、ゆっくりと息をすると世界が変わる。

こんにちは、しろです。

1日に1度やったことないことをやろうプロジェクトは継続中。

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そうだ、海行こう。

 
 
「自然に触れたい!!!!」という欲求に抗えず、会社員時代ぶりに5時半に起きて(会社員時代は満員電車が嫌で9時始業なのに7時に会社の最寄りに着くようにしてた…)、鎌倉へ。
 
突発的に何かをする!ということを今までやったことなかったんですが、衝動に任せて行ってみました。
 
案外、思い切ってやってみると気持ちが良い。思うように行動してると、心底満たされる感じがします。
 
そして生まれて初めて自分でグリーン車の手続きをして(ここも「やったことないこと」の1つ)、いそいそと乗り込んでみたり。
 
会社員時代は我慢してたんですけど、わたしは電車が本当に苦手で(あの閉鎖感が無理)。でも、グリーン車ならゆったりと過ごせるし良いかなと。乗ってみたら意外と混んでましたが(笑)、普通車両よりも全然マシな混み方で、意外となんとかなりました。これもやってみなきゃわからなかったことですねー。
 

いざ、鎌倉へ。

 
わたしは、実は生まれが鎌倉です(いた期間は短かったけど)。なので鎌倉は割と勝手知ったる街(鎌倉から引っ越した先も鎌倉に近かったし、親戚がたくさんいたので行く機会自体は結構ありました)。鎌倉駅で下車して、記憶を頼りにゆるりゆるりと由比ガ浜を目指して歩きました。
 
今回「自然」を求めたたのも事実なんですが、目的地を「鎌倉」にした理由は2つ。
 
1つ目は、最近自分が停滞してエネルギー不足だったのを自覚していたから、原点に立ち返ろうと思ったこと。
 
2つ目は、今観てるアニメ「覆面系ノイズ」の舞台が鎌倉だったこと(笑)
 
漫画も全巻読みましたが、おもしろかったです(既刊12巻)。鎌倉の街の再現性が高い。
 
 
最新刊は今月!楽しみ!
 
 
 
覆面系ノイズ」はバンド活動をする高校生たちの青春ラブストーリーなんですが、主人公・ニノが毎朝由比ガ浜で歌ってるという設定で、漫画の中にもちょいちょい海が出てくるんですね。それを見て、どうしても海が見たくなってしまって。(本当は朝焼けが見たかったんだけど、始発じゃどうにも朝焼けには間に合わなかったなー)
 
 

砂浜に残った足跡が、「生きていること」を教えてくれた。

 
 
 
滑川付近の階段から降りた場所の景色。
 
7割くらいは漫画につられて訪れた由比ガ浜でしたが、潮風と波の音がとても心地よかったです。砂浜をザクザク歩いて、海の音に耳をすませていると、なんだか自分の悩みや葛藤がとってもちっぽけなものに見える。
 
 
 
時折、自分の足跡を確かめて歩いたりして。うまく言えないんですが、足跡を見るたびに「ああ、わたしは生きてる」という思いがじんわりとこみ上げてきました。
 
今まで歩いてきた人生で、忘れてしまったことはたくさんある。でも、生きた証もちゃんと残ってる。わたしもどこかに足跡をしっかりつけてる。そんなようなことをぼんやりと感じながら、延々と海岸を歩いてました。
 
自然の包容力はすごいなあ、と思います。自然の中にいると五感の全てが刺激されて、部屋に閉じこもっているだけじゃわからないことがたくさん見えてくる。
 
太陽の熱は熱いなあとか、海の音って心をゆるませてくれるなあとか、ふわふわとした砂浜がまるで足を包み込んでくれるみたいだなあとか。潮の香りに懐かしさを覚えて少々ノスタルジーに浸りつつ、30分くらいぼんやりと歩き続けてました。
 
せっかく鎌倉に行って海だけなのもなんなので、ついでに極楽寺に寄って紫陽花を見てみたりなんかも。紫陽花はちょうどシーズンですしね。
 
 
 
 
儚げだけどしっかりと健気に咲いている紫陽花を見て、凛と生きる勇気が湧きました。極楽寺周辺は緑が多くて、呼吸をしていると全てがクリアになっていく感じがすごく良い。自然と人間は密接にリンクしているなあ、としみじみと思わされました。ビルや家ばっかりで緑が少ない場所にいると息が詰まるわけだ。
 
 
 

極楽寺駅周辺は、なんとなくジブリっぽいニオイを感じる気がする。というよりも、鎌倉の奥まった場所全体がジブリっぽいなあと思うんですよね。扇ガ谷のあたりとか、北鎌倉とか。自然が多いからでしょうか。

朝早く行きすぎて、店は微塵も開いてないし(そもそもカフェ以外買い物するような場所ってあんまりないんですよね鎌倉は。小町通だと観光客向けで色々売ってたりしますが)、江ノ電鎌倉駅に戻り、家族に頼まれたレーズンウィッチを買ってさっさと都内へ。

詰まったものはちゃんと抜く。


東京にいると、人が密集したりしてて「ウッ…」となることが多いんですが、エネルギーのチャージをした所為か、気分はとても晴れやかでした。

多分、持て余していた感情や閉塞感(停滞感)を、自分の原点にあった「海(自然)」に触れることできちんと抜ききったのが良かったのかな、と。

詰まったら、ちゃんと抜く。伸び伸びできる場所でゆっくり呼吸をすること。五感をしっかりと働かせて、「自分は生きている」と実感すること。それが人生を歩む上で大切なのかなあ、と思った小旅行(?)でした。

「心の避難所」を持つことで、人生は豊かになる。

もちろん、人によって伸び伸びできる場所は違うと思います。でも、誰にでもこういう「心の避難所」みたいなのはあるはず。息が詰まったときに思い切ってそこに逃げ込んでみると、今まで思いもしなかった視点から物事を見ることができるんじゃないかな。

実際、帰ってきたら「体は疲れてるけど心は元気!」みたいな状態になってたので、「ちょっと体を休めたらまたバリバリいろんなことやってみよう!」とやる気に満ち溢れてきました。今なら「やりたくねー」とうんざりしていた労働もこなせる(はず)。

よし。また1から頑張ろう。

 

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【祝・100記事】100記事書いて改めて思ったこと。と、改めての自己紹介。

 



こんにちは、しろです。

めでたく(?)このブログも100記事達成です。最初は正直に言ってここまで続けられると思っていませんでした(というか初っ端の記事とか、1月に書いて次に書いてるの5月ですからね!!!!実質まだ1ヶ月しかやってないんですよね!!!!)

100記事書いて何が変わったかと言うと、自分の気の持ちようが変わった(自分の考え方をブログに書いていくだけで思考が整理されて、自分が「なぜシンプルに生きたいのか?」と考えるようになった)とか、わりと前向きになった(1点目の副産物)とか、「人間とは?」とか「生きる」とは?とかを考えるようになった(これも副産物)とか色々あるんですが、確実に言えるのは「自分のことを誰かが知ってくれているという安心感が生まれた」ということのような気がします。

自分をオープンにするということの安心感。


わたしは自分をさらけ出す(コミュニケーションをとる)ということが非常に苦手なんですが、文章だと思ったよりも割とすらすら書ける節があります。それはブログという匿名性がそうしているのか、それとも自分が文章というものを愛しているからなのかはわかりません。

しかし、こういう場所で自分をオープンにするということは本音を誰かに知ってもらえているということなわけで。しかも日々訪問してくださっている人(リピーターの方がいらっしゃることにもびっくりしています!ありがとうございます!)がそれをどういった形ではわからないですが受け止めていただけているわけで。そのことにすごくホッとしているというか、安心感を持っています。

というわけで(?)少しでもブログで興味を持っていただけたという人に、改めて自分のことを伝えたいという欲求が生じましたので、100記事突破を記念して(なんの記念だ?まあ自己満足と言えばそれまでですね!)、自己紹介など用意してみました。

shr0805.hatenablog.com



もし読んでいただけたら嬉しいなあと思います。


最後になりましたが、いつも読んでいただいている方、たまたま訪問してくださった方、本当にありがとうございます。

自分の感じたことや考えていること、好きなもの、好きなことをひたすら発信しているため、もしかしたら「シンプリスト」を掲げつつもその枠には入っていない状態かもしれません。

しかしあくまでわたしにとって「シンプリスト」は最終的なゴール(自分が目指す生き方)の名前であり、このブログはそれに至るまでの考え方やちょっとやってみたことなどの記録媒体に過ぎません。なので、もしかしたら「自分が求めていたブログとは違う!」という人もいらっしゃるかもしれません。それはそれで仕方のないことだと思います。わたしはやりたいようにやるだけですし(誰しもその権利はあると思うし)、人の価値観はそれぞれなので、誰がどう受け止めようとわたしにはそれをどうにかしようとする権利はありません。雑にまとめると「ま、お互い様だぜ!」といったところでしょうか。

でも、少しでもこのわたしの模索の日々が誰かの糧になればハッピーだなあと思います。






 

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「しろ」は何者?改めてご紹介。



こんにちは、しろです。

毎度この導入文で入るようにしているのですが、実際問題「しろって何者だよ?」と思われている方が少なからずいると思います(と信じています)。

ということで、改めて自己紹介をさせていただきます。

「しろ」は何者?


80年代ラスト、平成になってすぐの8月5日に神奈川県の県庁所在地で生まれたかと思いきや、それはたまたま自分が超絶未熟児(出生体重770gです!下手なステーキ肉より軽いですね!)だったから大病院で生まれただけに過ぎず、実際に生まれて育てられたのは、当時住居を構えていた神奈川県の片田舎(古都)です。5歳になる年に神奈川県のさらに片田舎(ヤンキーの生息地)で20年間ほど伸び伸びと育てられました。

高校まで。

小学校から私立で育てられました。私立=お上品な学校で育てられた と思われがちで周囲から(主に会社員時代の同僚に)「金持ちなんだろ!お上品なんだろ!」と思われがちですが、実際わたしの家は金持ちでもなんでもなく、父親はごく普通の公務員、母親も普通にパートに行くおばちゃんですので、ものすごーく一般的な家庭です。周囲も金持ちなんて一握りしかいません。(単純に片田舎すぎて教育費以外にお金かける場所がなかったのでは?と推測しています)

しかしこの私立のすごいところと言うのは常識にとらわれないというか、獣をそのまま放置しているような場所でした。

それどころか教師の中にも「授業より遊びがしたいから私学の教師になった」(公立よりカリキュラムに自由が利くらしい)とかいう輩がいるほどトリッキーな場所で、手綱を握る人間がそれなものだから割と致し方ないというか、自由すぎる発想を持つ生徒ばかりでした。その証拠に、授業中に自主的に飯盒炊爨してました。どう考えても頭が(良い方向に)イカれている。

実際、進学校のはずなのにわたしの知っている友人ほぼ全員が社会不適合者で一般的な企業に就職という発想を持たず、フリーもしくはフリーターもしくは個人事業主が圧倒的で、いかにこの学校で育った人間が「常識なんてクソだ!」と刷り込まれているかがわかります。ちなみにわたしもフリーで細々と生活しています。

しかしこの学校で育った経験は確実に今のわたしを形成していて、
・常識など微塵も役には立たない
・クリエイティブな発想をして初めて人は自由になれる
という考えに至ることができました。自分含め、周囲が「常識<クリエイティブに生きてやろうぜ人間」ばかりなので、今でもこの時代の友人と会うとホッとします。

ちなみにこの頃の影響で、口が物凄く悪くて未だに直ってません。基本的には元SM⚫︎Pの中⚫︎くんみたいな話し方だと思っていただいて構いません。

専門学校時代。

中学時代からファッション及び美容に興味を持ち始め、高校卒業後は美容の学校へ進学するものの、「人を飾り立てるより自分を飾り立てる方が楽しい」と思い、「自分がやりたいことってこれじゃなかったー!」と気がつき、卒業間近に退学。

ファッション好きが高じて、ひたすらアパレル店員をやっていたのもこの頃。

受験戦争へ。

思い立って専門学校を退学したものの、「このままだと中退で一生を終えるな!その前に何かドカンとかましてえな」と思い、「読書が好きだからひたすら文章に触れていたい」というトチ狂った理由で「文学」について学ぶために3ヶ月間必死こいて勉強。(という割に1日11時間くらい寝てたし、受験前日に突如思い立って「新世紀エヴァンゲリオン」を劇場版含め全話一気に観るとかいうバカなことをしていた。渚カヲルくんが好きです

「大学受験といえば予備校に通うべき!」という風潮に一石投じたくて(というのは真っ赤な嘘で、実際は受験勉強にそこまでお金かけられなかっただけです。金持ちじゃないんで。あと思い立ったのが遅すぎた!)、全て独学でやり通し、希望通り私大(正直に言います、レベルはMARCHです)の文学部に合格しました。

この経験からも、「世間の風潮なんて個人の努力と運でどうにでもなる。クソだ」と思いました。やる気になれば人間はなんでもできます。それはわたしが大学受験で経験した1つの教訓です。

大学時代。

大学に入って、思う存分文章に触れ、うっとりした毎日を過ごしていました。文学なので社会的には何の役にも立たない学問でしたが、「文章のためなら死んでもいい」というレベルには文章というものを愛しているので、別段気にしてませんでした。傍目から見たら金髪ヤンキーが源氏物語を熱中して読んでいるという感じだったので、絵面的にウケは狙えていたかと思います。でも意外にも文学部は一見普通なのに頭の中がやばい(いい意味で)人間が多かったので、もしかしたら自分が思っているよりもウケを狙えていなかったかもしれません。

ちなみにこの頃初めて京都に行き(トリッキーな教師どもの所為で修学旅行先が一般的な場所に定められることは終ぞなかった)、「京都」という場所に謎のインスピレーションを感じ、京都という場所が大好きになり、今では1シーズンに1度京都を訪れないと死ぬ病気にかかっています。始めに生まれ育ったのが古都だった所為もあり、静謐な空気を愛してやまないのかもしれません。

大学に入って3年後、東京都(とは名ばかりのど田舎)に越し、「この町は灰色だ…」という厨二病みたいなことを思いながら鬱々と過ごしています。ちなみに越してきて3年経ちますが、未だに同じ感想を抱いています。

この頃はアパレル店員(専門時代に引き続き)をやったり、おしゃれな空気に引き寄せられて雑貨屋(やってみたら別におしゃれじゃなかったけど、人間関係がめちゃくちゃ良くて楽しかった)で働いたりしていました。

あとは気が向いて短期バイトで、「大学にいるその辺のお兄ちゃんを適当な言葉でナンパする(※そしてアンケートを書かせる)」ということをしたりしました。「そこを歩いてるお兄ちゃんはどんな言葉で気をよくするだろうか?」という、業務関係にミジンコレベルも関係ないことを考えるのがひたすら楽しかったです。

会社員時代。

刷り込みで「何が何でも正社員として就職をしなければ!」と、この時だけなぜか常識にとらわれていて、しかしそのくせ一生懸命になれなかった(文章に携わりたかったのにマスコミ対策を怠って、ESは全通過なのに筆記で全落ちという偉業を成し遂げます。大学受験での教訓が全く生かされていない)結果次々に失敗し、心が折れかけたところでようやくある会社から内定通知をもらいます。(そういえばこの内定通知をもらったときも京都にいた)

正直に言って全く興味のなかった会社でしたが、「どうしても正社員になりたかった」のと「土日祝日を確実に休みにしたかった」(※小学校〜当時、めちゃめちゃのアイドルオタクだったので、何が何でもコンサートに行きたかった。そのためには土日祝日が確実に休みである必要があった)というクソみたいな理由で就職。

実際入社してみたら、「世の中はブラック会社ばかりというのは大嘘なのでは?」というほどに超絶ホワイト企業で、休みはとりやすい、直族の上司はめっちゃ良い人、人間関係は(深入りしなければ)全くもって問題ない、という三重苦ならぬ三重ハッピーでした。ただし業務に死ぬほど興味が持てなかった。ここは唯一にして最大の失敗だったなと思います。

そこで入社1年目、早速ストレスで体を壊しました。しかしそこで「何クソ!」と(また常識にとらわれて)「とりあえず働こう」(今思うとこれがあかん)という気持ちで3年続けました。

その結果、業務内容にやばいくらいのストレスを抱えたのにプラスして精神状態が不安定になり、プライベートで揉め事が起き人間関係(割と依存気味だった)に亀裂が入ったのをきっかけに、1年目のストレス性の病気が癒えないまま新たに心身ともに病みました。

毎日が暗く、何がなんだかわからない状態で泣き暮らし、人生に楽しみが見出せず、線路や道路を見れば「今ここに飛び込んだら全てを終えられる…」と考え、自分が死ぬことの想像しかできなくなり、夜な夜な発狂し、最終的に救急車で運ばれた段階で「このままだと自分は確実にやばい方向に進む、悪い意味で」と思って(とりあえず会社自体は好きだったので最低限の礼儀だけ通して)全てを放棄。

ちなみに会社員時代の上司もなかなかトリッキーな感性をお持ちで、わたしはこの上司がすごく好きだったし、今でも好きです。尊敬してます。

現在。

かねてより夢だった文章業で独立し、細々と生きています。そして会社員時代に気まぐれに立ち上げたブログ(今思えばある種のSOSから始めたのだと思う)を「とりあえず毎日更新して、自分が良いと思ったことやものを書き連ねていこう」と決め、今に至ります。

その中でも特に興味がある生き方が「シンプリスト」。個人的には、余計なモノ(物理的にも精神的にも)を削ぎ落とせば削ぎ落とすほど自分が見えてくると思っているので、まずはモノやノイズ全てを取っ払う「ミニマリスト化」したいと思っています。

そしてそのあとに残った「自分」が「良い!」と思うものやことだけを残し、最終的には「自分が生きてて心地よい状態」に持っていきたいと思っています。そうなるための考え方や行動を模索中(そしてブログに書き残し中)です。

人生で得た教訓。

客観的に見るとなかなか凄いアップダウンの激しい人生だな…と思いました。ここで得たわたしの教訓は5つ。

・人間やればなんでもできる
・(乱暴に言うと)常識はクソ
・やりたくないことをやっていても何の身にもならない
・他人に依存する「他人軸」で生きていると全てを失ったときに無に帰すので、「自分軸」で生きる方が良い(全てを失わないで済む)
・自分が「良い」と思うものに囲まれれば、人生は非常に豊かなものになる(はず)

まだ30年にも満たない人生ですが、結構学ぶところは多かったような気がします。これをブラッシュアップして、もっともっと自分にとっての「良い」人生を築き上げていきたいなあと思う次第です。

今後やっていきたいこと。

大枠だと、「自分の人生をより良くする」。これに尽きます。

「そのためにどうすればいいか?」「何が必要なのか?」は、今の所模索中ですが、今猛烈にやりたい!と思っていることは、

・文章を書き続ける
・たくさんの経験を積む
・会ったことのない人と会って色々な話をする

といったところです。

連絡先。

twitter:@shr008
mail:shr0805@yahoo.co.jp

この2つで大体連絡はとれます。

ブログを読んで「興味を持った!」という人が(もし)いらっしゃれば、是非ともお話ししてみたいと思っています。「会いたい!」という希望にも(フリーなので比較的時間がとりやすいので)応えられるかもしれません。



軽く自己紹介のつもりが思ったよりも長々としたものになってしまいました。(1時間くらい書いてた!)お付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 

読んだよ〜の一言で頑張れますので、よろしければ…!

 

 

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